「私の青春は下関」


昭和17年5月、博多の雑餉隈(南博多)にあった渡辺鉄工所(現九州鉄工所)へ、ドイツ複葉練習機「キ-68」の製造過程の研究勉強のため派遣された折り、下関駅関門連絡船待合所で一夜を過ごしたのが、私と下関との出会いであった。翌年は「海の底さへ汽車は行く」の歌と提灯行列で送られ関門海峡を通過した。そして、昭和20年、旅興行一座の楽士として、上新地「新富座」の舞台に立っていた。戦後の食料不足、下関駅近辺の闇市でおにぎりを買い、空腹をいやした思い出が残っているのみである。50年後、南阿蘇久木野雨乞い太鼓の復活に微力ながら指導した帰路、思い出をと立ち寄ったが、上記新富座は昭和23年には焼失し、脳裡に残っているのは、その時カメラのレンズから見た風景のみである。1999年、HALLA WIND ENSEMBL倉敷交流演奏会の折、彼らを迎えたのが下関国際タ-ミナルであった。韓国交流の道を作ってくれた朴二玉氏(釜山警察音楽隊隊長)も同行、火の山公園展望台からの眺望は、素晴らしいの一言であった。その他の写真は例によって、大岩康孝氏同行の折の記録である。


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①②火の山公園より関門海峡を望む

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③海峡ゆめタワーよりの眺望

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④壇ノ浦の馬関戦争の砲台跡

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⑤巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎決闘の像

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⑥壇ノ浦合戦で幼くして亡くなった安徳天皇を祀る赤間宮

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⑦⑧長府の古い町並み

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⑨⑩金山功山寺と毛利元就像

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⑪毛利長府藩の廻遊式日本庭園で四季折々に散策を楽しめる。


次回は中国路最終編、山口の街並みと萩武家屋敷を記載。付録として昭和30年代懐かしの地、津和野を記載の予定。


<木津 清 先生:連絡先>
メールアドレス:k-annyo@amber.plala.or.jp
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