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特別寄稿#2「コンクールに求めるもの」


連盟から夏のコンクール招待状が届いた。今年の暑さは格別、老齢の私は参席をためらっていた。そんな折、大藪さん(OB保護者)から会場で待っていますとメールが届いたのを機に、今年の大谷の出来も心配であったのと、新装なった京都会館も見ておきたいと思い参席を約束した。そして、私にとってはコンクールとは何であったかと、振り返ってみるときでもあった。昭和62年、音楽教育雑誌より依頼を受けて書いた小論文を思い出しながら、コンクールの雰囲気は今も昔も、同じであることを感じ取った。その小論文を紹介させていただき、当時のコンクールに対する私の考えを書いておこうと思った。

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コンクールに求めるもの

さまざまな困難をかかえる教育の現場にあって、出場を果たしてきている先生方に、その意義、メリット・デメリットなど、建設的なご意見を戴きました 【編集部】

<昭和62年11月号「教育音楽中学・高校版」記載>
「高等学校」(吹奏楽)木津 清(京都府私立大谷高等学校)

12分間の演奏の成績が、その学校の実力であると評価される現在、コンクールに目の色を変えるのは当然であると思われる。10月になれば、今年のコンクールが終わってもいないのに来年の課題曲の公募が始まり、先生や指導者は、自由曲探しに血まなこになる。そして、1年かけての練習が始まる。果たして、実際に演奏する生徒たちは、音楽を楽しんでいるであろうか。

ある雑誌の投稿欄に、「私は中学トランペットを吹いていたが、高校にいってもバンドを全くしなかった。なぜって? それは、音楽とは楽しんでやるべきなのに今のバンドは地区大会だ、全国大会だってみんな目の色を変えちゃってさ・・・学校の名誉や先生の点数かせぎのためにやっているようにしか思えないからだ(後略)」。この高校生の手記を見ると、私たち指導者も、コンクールに対して考え直さなければならない時期にあるのではないかと思う。

コンクールが終わり、10月に行う定期演奏会までの間が、私がいちばんバンド指導に燃やす時である。私達の学校は男子高校であるがゆえに、楽器経験者の入部(時にはチューバ5人・今年は創部以来クラリネット2人)は、皆無に等しい。従って、4月に入ると、2~3年生の部員が、いい事づくめの理由をつけて新入部員を勧誘する。その甲斐あって落ち着くのが5月中旬のこと。現有勢力51名というのが今年の場合であるが、困ったことに、ことコンクールとなると1名カットしなければならない。誰を外すかは、コンクールの3日前まで知らさない方法をとっているが、生徒に通告した時は、これが原因でやめないかどうか心配であった。今年の場合はうまくいったケースで、舞台横で計時係をやってくれたのでホッとした。このように私たちのバンドでは、新入部員全員が貴重な戦力である。また、8年ほど前にはコンクール直前に勉強を理由に2名が退部、30名で関西大会(銀賞)に出た事があった。

3年生部員は、コンクールになると目の色が変わるので、新入部員は大変である。楽器を持って3ヶ月、音を楽しむどころか苦しみの連続である。だから、練習では、ユニゾンやピアニッシモのところは、吸うという技術を身につけなければならない。そして、審査員や聴衆にいかにも吹いているように見せるのである。

このような事を毎年やりながら、京都大会では、15年連続して金賞を戴き、3年に一度は、間違ってか、関西大会に進むことがある。楽器を吸わせていた1年生に、関西大会では吹いていいよといったら、緊張のあまり、指揮棒をおろす前に吹いて銅賞をもらったり、また、緊張をほぐす意味で、良し悪しは別として、指揮台上で聴衆に両手を挙げて挨拶(会場では拍手喝采)したことがありましたが、その折ある審査員に「指揮者は舞台上では答礼のみにする事」と言われました。ひょっとして演奏に対する評価をしてもらえないのではないかと不安がありました。

前記の中学生の手記のように、私もコンクールは好きではないが、「苦しいことから逃げていると、楽しいことからも遠ざかる」とも言われるように、コンクールから逃げるのではなく、楽しむようにしている。また、コンクールがあるから、それに向かって必死で練習する。それが生徒たちの技術向上に役立っているように思っている。以前は3日間の合奏練習で出場したこともあったが、せめて5月下旬には曲を決めて生徒たちを安心さすよう心掛けている。そして、出場するからには、3年に一度は関西大会まで連れて行ってやりたいと思う。

課題曲のデモテープが3月に発売されるが、これがあるから、その通り演奏しなければならなくのではないかと思う。審査員でも、これを参考にする人がいる。以前は参考にするものが無いから、独自で曲作りをしたものだ。だから、その当時のコンクールは、各バンドの解釈の違いを聞くのが楽しみであった。現在ではテープのお蔭でバンドの特色が出ない。もっと個性のある演奏が聴きたい。少なくとも全国大会では、ユニークで、個性的なバンドが出場し、耳を楽しませてくれることを期待する。

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※昭和62年コンク-ル京都大会:自由曲「ルイ・ブルジョワの賛歌による変奏曲」C.T. スミス曲
こんな大曲を力を合わせよく頑張ったと思う。演奏の評価も良かったが、時の代表校の自由曲と作曲者が同じになり代表を外れた。私としては選曲ミスであったと反省している。しかし時の部員達にとっては心に残る曲であると云われている。


<木津 清 先生:連絡先>
メールアドレス:k-annyo@amber.plala.or.jp
フェイスブック:https://www.facebook.com/kiyoshi.kizu

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