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第四章:フィナ-レ「初めての海外演奏」


初めての海外演奏旅行(1986.12)は、何もかもが未知で、新鮮であった。

北京の公演は、想像以上に盛りあがった。公演前の三十分間、中国の、主賓との謁見が慣習となっていると聞いた時は、どうなることやら、と心配になったが、その折にふとひとつのアイデアが生まれ、実行に移すことで、不安感など吹っ飛んでしまった。来賓のひとり、人民解放軍軍楽団団長劉王宝氏に、指揮棒を振っていただこうと私はとっさに考えたのだ。早速、団長に要請してみた。

「初めてのバンドの指揮は、難しい。日本の曲は分かりません」急な申し出に、やや困惑しながら団長は言った。「大丈夫です。日本の曲ですが、心配はいりません」

私は、そう言いながら、譜面を団長に見せた。すると、団長はにっこり笑って、「OK。承知しました。ただ市長の許可を取ってください」縦社会の中国は、一番地位の高い、北京市長の許諾なしには、どんな申し出も受けることはできない。すぐに市長に、私の考えを述べ、許可をいただき、団長の指揮は実現することになった。私が見せた楽譜は、私が編曲した『北国の春』であった。この曲や『昴』は中国でも大ヒットしていた。

舞台は三部構成にした。一部はジャズやポップスを、二部には少し堅い吹奏楽曲を、最後には日中の曲を演奏し、団長に指揮棒を振って頂き、観客を舞台に上げて、『四季の歌』や『昴』を歌ってもらったりと、舞台と客席が一体化できるよう工夫をした。そのかいがあって、なんと五回もアンコールがかかった。普通は、プログラムが終われば、主賓が舞台に上がり、今日の舞台はこんな方々がおみえになっていたのだ、という一種の顔見せがあるのだが、アンコールにつぐアンコールの拍手の渦で、壇上ヘ上がる時機を逸するほどであった。最終バスの時刻がせまって、こちらが心配した。しかし聴衆は、かまわないもっと聴きたい、と催促の拍手をやめなかった。あとで、当日の聴衆は大半が自転車であったと聞いて安心した。

中国劇院の大きな舞台が、会場が、ひとつになったと実感した時、「見て聴いて、演奏して楽しい吹奏楽」というのは、国の壁も、言葉の障害も、イデオロギーのちがいさえも超えて存在するんだ、と
目頭に熱いもの感じた。また、ソロパート(トランペット)を受け持ってくれた中国の若者庄王明氏の、演奏対する真摯な態度や技術の高さは、目を見張るものがあり、この国の底力を垣間見た気がした。このとき収録したビデオテ-プは 私の宝物として書架に鎮座している。

帰り際に、私は、演奏に使った譜面を、人民解放軍軍楽隊にプレゼントした。のちに一度その楽団を指導しに行った時、この講面が、中国の各地のブラスバンドの間を駆けめぐつたことを開いた。

公演直後思ったことだが、もつと中国の音楽を勉強し、ステージを中国の曲だけで構成したかった。日本の曲にも外国の曲にもいいのがたくさんあるが、それ以上に中国古来の音楽には、私たちの心を打つものがある。それらを吹奏楽用にアレンジし、演奏できれば、さらに吹奏楽の醍醐味を味わって頂けるにちがいない。

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※吉野・真城両先生の力作「中国への手引き」

北京の次の公演は上海であった。そこの上海音楽庁という会場は、ルネッサンス様式の気品あふれるホールだった。おそらく日本には、これだけの会場はあるまい。その立派なホールの舞台で、最後の曲を終えた時、あふれ出る涙を、どうすることもできなかった。観客に背を向ける指揮者でよかった。

「北国の春」の演奏に際しては、観客に指揮をお願いしたが、指揮をしながらそわそわしていた。それを見かねてマイクを持たしたら、得意げに日本語の歌詞で歌ってくれた。彼はよっぽど歌いたかったのであろう。

上海音楽町
※新装なった上海音楽庁(演奏当時の面影は残っている)

創部以来二十年にして、やっと立てた海外の舞台。大谷吹奏楽部がここまでくるまでには、いろいろな方の協力があった。汗と涙が、大谷吹奏楽部を形作ったといっても過言ではない。あの方も、また部員の彼も、この晴れやかなステージに見せてやりたかった。そう思うとそんな人達の顔が、浮かんでくるのだった。奔走してくださった顧問、OB、また支えてくださった方々に、心でお礼をしながら、指揮をしたことを覚えている。


<後日談>

2016年の現在、OB諸君が「卒寿を迎える恩師にパワーを送ろう!」と題してコンサートを企画してくれた。一月からの練習には池田一道君の出迎えで参加している。その中には上記中国演奏旅行のメンバーも顔を出してくれている。この時の記録がVHSビデオで残っている。サウンドスタジオOKAさんの協力で撮影されたものである。吹奏楽部では演奏会は勿論、数多くの演奏旅行記録をVHSビデオで撮影してきたが、保存がうまく行っていなくて、私が所持しているものだけになってしまった。多くの想い出を共有してきた部員たちと、再度当時を思い出そうとVHSビデオのDVD化を考え制作に入った。大谷高校吹奏楽部時代の想い出は永遠のものであると思っているし、ご家族の皆さんとの団欒の場で共有できるものと信じている。

中国盤面
※ 今回DVDに変換した盤面

私も退職後勤務したビデオ制作会社で習い覚えた技術や、PCを駆使し、OB諸君が喜んでくれる物をつくるべく、老骨に鞭打ち、ひと頑張りの今日この頃である。


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